誕生日のこと

暑さがすこしずつ和らいで、もうすこしだけひとに優しくなれそうなくらい余裕をふくんだ風の吹く夜、わたしは夜行バスの中で28歳になった。


じぶんの誕生日に、安くない出費をしながらもどうしてもすきなひとに会いたくて旅に出るだなんて、はたからみたらすこしおかしいのかな。


この年頃の女性はきっと、誕生日を理由によくばりな1日を要求するんだろうな、恋人に。コース料理を食べた後は普段なかなか行かないようなムード漂うダウンライトのバーへ、指を絡めて急な階段を降りて、くすくす愛を囁きあって、ピンヒールの背伸びをかわいがって、サプライズでプレゼントを用意してもらって。

そういうのもいいかもしれない。でもそれをしてもらって喜べたこと、実は一度もなかったな、なんてふざけた回想を寝付けない理由にして、夜行バスに揺られていた。


実際のところ、バスと電車を乗り継いで、目的地へとむかう船に乗り込んでもまだどこか、緊張していた。

すきなひとの顔を、思い浮かべられなくて。どんな表情で船着場にたっているのか、想像できなくて。

飲みこめたはずのくすりが喉に引っかかって苦味の錯覚を漂わせるように、なんのしこりも残っていない事を祈っては、数日前に吐いた言葉のせいで不安を隠しきれずにいた。

わたしはいつだって、事の顛末を想像せずにはいられない。何かあったときにそれぞれのこころをかなしみから引き離すために、せっせと蜘蛛の糸で予防線を張ってしまう。わるい癖だね、いつまでも治らない。



ひさしぶりに会ったすきなひとは日に焼けていたけど相変わらずで、拍子抜けした。彼はいつもわたしの想像のすこし上にいる。

開口一番の誕生日おめでとうも、付かず離れずの程よい距離感もいい意味で期待はずれで。そうしてすこしずつ蜘蛛の糸を溶かしてくれて、これだからこの自由人は、って愛しくて笑えてしまった。



手を繋いでぬかるんだ道を歩いて、パピコを半分こして、お昼のサンドイッチの美味しいところだけ大きな口を開けて食べて、ヘアバンドでおさえたうねる前髪が陽に照らされてかわいくて。

ちいさく飛ぶ虫が苦手なわたしを置いてけぼりにするおおきな歩幅、それを追いかけるわたしの変てこなフットカバーに覆われたぐずぐずな格好を笑って、時々立ち止まってくれるすきなひとの佇まいも、ちょけてくしゃくしゃになる目元も、嘘みたいに眩しくって。例えばくしゃみをしたら現実に戻ってしまうみたいな、そのくらい消え入りそうな特別を纏っていたんだ。来てよかったな、って心底思った。



それから滞在先のちいさなコテージに荷物を置いて、海で遊んだ。右肩だけびしょびしょになりながら綺麗な石をひろって、大きな穴のあいた貝殻に指を通してペアリングだって年甲斐もなくひとりではしゃいで、貸切の綺麗な白浜をたくさん歩いた。いつも気づくとすこし先にいるすきなひと、ほんとは隣をゆっくり歩いてほしい気もするけど、離れているとその姿形がよくみえるのでそれもいい、なんてうなずいたりして。


いつまでも針をくねらす新鮮なうにを食べて、こどもみたいに膨れたお腹をみて笑って、ひろった貝殻でパズルをするわたしとそれを絵に描くすきなひと。どこを切り取っても楽しい時間だった。

誕生日プレゼントにすきなひとの描いた絵がほしいと、ひとつだけお願いをしていて。三角座りでじっとしてる間に流れたくるりの曲が嘘みたいにせつなくて。このまま終わっちゃっても仕方ないと思ってしまうような、しあわせばかり詰め込みすぎてはち切れちゃいそうな、そんな夜だった。


つぎの日は島を離れて、行き当たりばったりで展示をみてまわった。どこに行き着くかわからない地元のバスも、知らない道も、定かではないタイムスケジュールも苦手なはずなのに、なぜかずっとわくわくしてた。




それからすきなひとの知人と一緒に夜ご飯を食べて、いろんな話をしてるうちに、わすれてた数日前の出来事が思い出されて。


誕生日のすこし前、どうもうまくいかない時があって。すきなひとの持つ常識と、わたしの中の当たり前はやっぱりこんなにも違うんだってまざまざと思い知らされて、続かない道の先が見えたように思えてくるしくなっていたんだっけ。


すきなひとの大切なものはずっと明確なところにあって、わたしも結局はじぶんが一番大切なようで、このままじゃ一緒にいられない日が来るんじゃないかなって不安だけがこころを占めて、身動きが取れなくて。

身を削ってぼろぼろになるような恋愛は人生に一度きりで充分、だからもういらないし、彼の当たり前を飲み込めなくなったらその時は、だなんて覚悟しているようで弱気なわたしは逃げ道ばかり作って、頭では理解しているつもりでいてもそんな最後は望んでいなくて。


困ったな、どうしようかな、なんてどうしようもない堂々巡りを断ち切れずに、離島にきたんだったね。



顔をみて、声を聴いたら、そんなの全部どっかに行っちゃった。

終わりを想像してしまう癖はなくなりそうにもないけど、だめになったらその時で、だめにならなかったら、もしかしたらずっとがあるかもしれない。ただそれだけのことだったな、って。


さみしい考えのように思われそうだけど、これはわたしなりの極めてポジティブな思考回路。そのすこしあやふやな足元に埋もれることなく、日々を紡いでいたい。しあわせが当たり前だなんて思えなくてよかった。すこし肌寒いところからみる景色は、なんとなく澄んでて心地良い。



何かあるたび話を聞いてくれる友人、飼い猫の世話を頼まれてくれた家族のような人、わたしのしあわせを願っていてくれる人達、いつもありがとう。

おかげでもうすこし、下手くそなくしゃくしゃの笑顔で過ごせそうです。


ひとはいつか、無垢にかえることができるのかな。生まれ変わるなら、アイスグレーの瞳をしたスモーキーな香りのするやわらかい猫になりたい。あと、絵を描けるように、ギターを弾けるようになりたいな。



これからもどうか、よろしくね。

28歳も、すきなひと達の側でとびきり可愛くいられますように。