とがる

アラームが鳴る。わたしは手を伸ばして携帯をああだこうだと握りこみ、適当なボタンを押したらしい。けれどそんなの記憶にない。徹夜明けの恋人が、また布団にもぐろうとするわたしを引き摺り出そうとしきりに声をかける。いつもは隣でぐうぐういびきをかいているのに、わたしが起こしたってちっとも動きやしないのに。

わたしは寝起きが悪い。ちいさい頃からそうだった。起きたと思うと眉間にしわがよっている。中学生の時は授業中にもかかわらず熟睡を決め込んでしまい、掃除の時間になってもわたしとわたしの机だけ取り残されていることがよくあった。友人達は起き抜けのわたしの機嫌の悪さを知っているから、触らぬ神に祟りなしといわんばかりにそっとしておかれていた。先生に起こされて眉間にしわを寄せると、それだけでめちゃくちゃ怒られた。意識的にやってるわけじゃないのに。しかも寝起きが悪いどころか、言葉づかいまで悪くなるのだからどうしようもない。むかし付き合っていた恋人にも、せっかく起こしてくれたのに不機嫌を煮詰めた飴玉を投げつけてしまい悲しくさせた事もあった。

なんてことを走馬灯のようにぱらぱらと思い出しながら、わたしの頭はのそのそと動き始める。いまの恋人には、とてもじゃないけどそんなこと出来ないだろうな。寝起きのかわいげがない顔をみせるなんて、いやもうきっとみられてはいるのだけど、そういうのはせめてほんの少しの時間で済ませたい。本気の不機嫌をぶつけた事もあまりないような気がして、どうにかこうにか自意識を取り戻そうと頭の中を必死に手繰り寄せる。慌てて服を着るみたいに。そうしてようやく、いつものトーンにだいぶ気怠さを混ぜたようなレベルのおはようを交わし、仕方なくわたしにも朝がやってくる。

強敵な眠気を自意識がのみこむ。2年経っても変わらぬ恋心を踏みつけないために。必要な気遣い、おもいやり?いつでもどこでも、すこしでもかわいいと思われたいのは本能の類なのだろうか。なにはともあれ、怒らなかったからわたしの勝ちだね。

 

それからばたばたと、朝を押しのけるみたいに時間はすすむ。寝癖をなおす、お弁当をつくる、ストックのカフェオレをリュックに詰め込む。化粧をするのも億劫で、日焼け止めを塗ってから申し訳程度に眉を描き、膨らんだ髪にヘアバターをつける。調子がいい時は、まぶたにきらきらだけのせる。歯磨きをしながらねむに餌をやり、ごみを掴んで家を飛び出し、徒歩5分の最寄り駅に駆け込む。わたしのここ最近のいつものこと。

朝ごはんを食べないとやっぱり糖分が底をつきてしまうのか、仕事中にもかかわらず気絶したように寝てしまいそうになることがあるので、低血圧ながらもなにかしら食べるようになった。えらい。最近はドラッグストアで安売りされていた玄米ブランにはまっていて、それを歩きながらこっそりくちにしのばせる。こっそりといっても両頬が膨らんでいるので、リスの真似でもしているおかしな女だと思われているかもしれない。でもいまは行儀の良さより、丁寧な生活より、いつもを損なわないことのほうがずっと大事なので、30歳手前のくせにだなんてどうか言わないでほしい。

 

月末から月始にかけては、毎月の家計簿をしめてつぎの月の予算をたてる。もう十年以上やっているから習慣になっていて、これをしないと落ち着かない。家賃だローンだ税金だ仕送りだ、っておおまかに仕分けたあと、残金で暮らす見通しを立てているのだけど、たまに諭吉がさんにんも残らない月もある。

やりたい事をやって生きていこうとするのがこんなにしんどいなんて、看護師だった頃は想像もつかなかった。ふと気を抜くと、生活をやめてしまいたくなる時もある。親のもとへ帰省することもなかなか叶わないので、恋人と愛猫と、時々会える友人達をひっそり大事にしてなんとか日々を保っている。やりたい事、なりたい姿を諦めずに、当初のモチベーションを見失わずにいたいけど、じぶんがどこにたってるかなんて考えたくない時のほうが、正直ずっと多い。

でも、ほんとうにこのままでいいの?なんて、わかったようなことだけは言われたくない。

 

にがてだった3月になったけど、いまはひとりだけのお仕事だから出会いも別れも節目もないし、きっと大丈夫。3月生まれでO型のひとばかり好きになってしまうジンクスも、とっくの昔になくなったし。桜をみてかなしくなったり、春服がにがてで落ち込んだり、いままでずっとそうだったからって今年もそうなるわけじゃない。

価値観だってそう。新しいものをみればみるほど視界はひろくなるし、そのなかでも揺れない気持ちだけがつよくなる。だからいままでわたしを決めつけていたことや、そういうこびりついていたものにはやさしく目を閉じていようと思う。

 

明日は起き抜けからかわいくいられるといいな。おやすみなさい。