キューちゃんの展示をみてきた。

彼女のつくるものに触れると、いつも心がぴりぴりする。きっと彼女の繊細さが、みてるひとの内側に入り込んではそうさせているのだと思っている。

以下、展示の感想と、彼女に宛てた単なるファンレターです。



彼女の第一印象をなにかに例えるなら、毛並みのいい野良猫だった。

わたしの知らないなにか特別なものを捉えつづけてきたような、澄んだふたつの瞳のはっきりとした輪郭が印象的で、吸い込まれそうな深い色をしていた。彼女の佇まいや振る舞いから、初対面のひとに対する距離感をきちんと感じた。その距離感が心地良くて安心したのとは裏腹に、憧れに似た気持ちを隠しきれないわたしはもの凄く緊張していた。

震える声で話しかけると、彼女は地べたに行儀よく座り、わたしにいくつか質問をしてくれた。もともとひとと話すのが大のつくほど苦手なわたしは、投げかけられた質問にたじろぎ、おかしなことをいくつか口にしたと思う。それでも彼女は、わたしの醸し出すざらついた雰囲気を絹で包むように、すこしずつ汲み取って、わたしの外側を定義してくれた。会話しながら、辞書をすこしずつ切り取り、うすいプレパラートにのせて固めてくれたそれは、いまはわたしの宝物になっている。


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彼女の展示を観に行くのは、これが三回目だった。今回の展示は、彼女のツイッターでも時々目にしていた、本へのドローイングを重ねたものだった。


はじめてそれを画面上でみたとき、本に書いていることにも気づけず、鉛筆がこんなに儚い線を引けるのかと、ただただどきどきしていた。小説の文字に気づかない程度に背景が塗られているのだけれど、一部文章がトリミングされて浮き彫りにされている、背景をあえて塗らずに色で囲んである部分があって、それがその絵のキャプションになっているみたいだった。


絵や画法についてはまるきり知識がないので、純粋に感じたことだけ羅列する。

揺れた線でつくられた輪郭、鉛筆の濃淡だけでこんなに表現できるのかと驚いた。青と赤の鉛筆も使われているのだけど、それが動脈と静脈を模してるようで、紙の中のはずのひとに生を感じて鳥肌がたった。

色の重ね方もすきだ。ライトグレイッシュくらいのトーンで人物の輪郭を重ねていった絵もあれば、青や赤のような鮮明な同系色の濃淡だけで輪郭を映しこんでくる絵もあって、ページをめくるたびに緊張した。瞳の描き方がなにより綺麗だった。

わたしが一番すきなのは、女性が膝を抱えている姿の絵の、目元と口元、膝小僧。横顔が本当に綺麗。トリミングされている文章もよくて、すこし泣きそうになった。表現するための語彙が足りなくてすぐ泣きそうになるの、本当に恥ずかしいね。


本へのドローイングは二冊構成で、もう一冊はカードと文章でつくられていた。

まず、弧を描くように破かれた名刺サイズのカードが貼られている。これは何を表しているのか、疑問に思いながら文章を読む。それからのページにもカードは貼られていて、シミのような円やひっかいたような傷がつくられていて。文章を読むたび疑問は確信に変わっていったのだけど、あれはきっと彼女のチャームポイントを模していたものだ。もしかしたらコンプレックスの可能性もあるけれど、彼女はとても魅力的なひとなので、わたしにはチャームポイントのように映っていた。

その、交互に出てくるカードと文章のリズム感、余白だらけのスペースに登場させたカードにあつめられる視線、そこにテキストを載せるわけでもなく、紙になんらかのダメージを与えるだけのシンプルな情報量で文章へと繋いでいて。その導入の仕方が計算尽くなのかと思うと、もうどきどきして仕方なかった。文章の内容的に、何も知らない何でもないわたしがこのページをめくっていいのかという気持ちと、続きをもう少し読みたかった気持ちとで、なんとも言えなかった。



作品を見終えたとき、この気持ちの昂りを彼女になんといって伝えればいいのかわからなかった。見ず知らずの相手から、しどろもどろで愛を伝えられたら気持ち悪くて仕方がないし、けれども彼女の作品へは愛しかなくて。声が枯れていて、言葉が出なくてよかったな、と少しだけ思った。


わたしは彼女について何も知らないし、赤の他人である。知っているのは、彼女が素敵な絵を描くこと、歌声の綺麗なこと、ギターとキーボードが弾けること、纏っている洋服がいつもとても似合っていたこと、素敵な文章を書くこと、わたしが暗記しちゃうくらいすきな短歌を詠むこと。そのくらい。わたしは彼女について何も知らない。けど、ただ、彼女にはしあわせに過ごしていてほしいと思う。おかしな話かもしれないけど。


そしてこれはもはや一人言なのだけど、わたしは彼女の展示に、ちゃんと対価を払いたい。彼女のつくるものは価値があるしとても尊い、とどんなに思って言葉にしてみてもわたしの稚拙な感想文からはなにも生まれないので、それがもどかしい。ただできるだけ、彼女のつくるものを見続けたいだけなのです。


なんて事を考えながら、いつのまにか自身のコンプレックスを刺激してしまってひりひりと勝手に苦しくなったので、めげずにもっと向き合わなきゃなと思うのでした。

なにかを生み出しつづけるひとの、その思考回路や情動的な側面と、冷淡さを覗きたい。目を背けるのも理解するのもちがうような気がするこの距離感は、どうやって消化していけばいいのだ。ずっと迷子みたいでたまにこわくなる。