目を瞑るとすぐに火花が弾けた

つい先日、ピアスを開けた。

それはなんてことない日に、なんとなく思いついただけのことだった。いまさらだなんて考えがよぎることもなく、誕生日がきたら開けちゃおう、と思った。わたしが28年間守ってきたモットーは、オーガンジーがひらりと舞うくらいの緩やかさで、呆気なく覆った。すべてはきらめきを逃さないためのこと。そういうタイミングをみつけたら、出来るだけ足取りが軽いほうがいい。

 

どうせなら、恋人に開けてもらいたいと思った。恋人のセンスやバランス感をそこはかとなく信頼しているから。それに万が一失敗したとしても、絶対に責めたり後悔したりしない自信があった。

でもどうかな、ばかばかしいと笑うかな、なんてもじもじしながら打ち明けたら意外にも恋人は乗り気で、「なにそれ、いいじゃん!」と笑ってくれた。ああ、このひとのこと好きだな、と思った。わたしが迷って迷ってしかたないようなこと、ちょうど良く振り払ってくれる。

 

恋人もピアスをつけてみたかったようで、せっかくだしふたりで開けっこすることにした。そんな、10年前に済ませていたかもしれないやりとりがまだ残っていたことが嬉しくて、気恥ずかしくて、可愛らしかった。

 

開けた後は、思ったよりすこし痛くて、ふたりでぼうっとしていた。耳元で震える指とか、開けおわった後にふたりの手のひらがじっとりしていたこととか、緊張をごまかすために上擦った声とか、弾けた欠片を集めるみたいな手つきでゆっくり思い出していた。

なんだか、ジェットコースターみたいだったな。終わった後に、びっくりしすぎて笑っちゃうような、こわいのとどきどきが一度にやってきた衝撃で感情の膜がうすくなる感覚。だって、またすぐに開けたいなと思っちゃってるし。

 

 

 

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ここまで書いてからもう、ひと月以上経った。ピアスの穴は落ち着いてきていて、もう痛くも痒くもない。

身体に開けた穴というのはある種の傷口で、でも今回のそれは肯定的な穴で、自分が望んでつけた傷口で。その、なんというか、塞がることを拒みながらまるい穴を保ったまま身体にそっくり呑み込ませるような所作を繰り返しているわけで。

わたしのこころに開けられた穴、正しくはこころじゃないのかもしれない、お腹やみぞおちのずっと奥の、すこし心臓にちかいような、時々きりきりするところ。そこをぎゅうと絞られると目の奥からなにかじわっと溢れてきてしまうようなところ。そこの穴は決して望んで開けたものではないけれど、それだって支柱を刺し続けることで傷口がそのうち安定してくるのかな、なんてばかなことを考えている。

ずっと、呑み込もうとはしているんだ。わたしの身体全部が、傷口ごとわたしのものにしてしまおうとしている。そういう自然な反応を取り続けている。それだけ。

いつかこの痛痒さも落ち着く。朝はやってくるし、だいすきな冬ももうすぐそこまできている。きっと、大丈夫。