休日

ひさしぶりに何もない日だった。

だれかと会う予定も、電話の約束も、何もない。起きる時間も気にしなくていいし、誰の顔色も汲み取らなくていいし、食べるものも考えなくていい。本当に、わたしのすきにしていい日だった。

やりたいこととか行きたいところとか、あれほどあったのにも関わらずわたしは、一日のほとんどを家で過ごした。

猫に餌をあげ、洗濯をし、猫と昼寝をして、コーヒーを淹れて本を読み、煙草を吸った。部屋着のままコートをはおって自転車に乗り、陽が出ているうちに必要な買い物を済ませた。部屋中に掃除機をかけて、モップがけまでして、朝からなにも食べてなかったので珍しく自炊もした。発した言葉は飼い猫の名前を数回と、お店の店員に向けたすみません、の一言。

しずかに、淡々と流れる時間を少しずつ飲み込みながら、わたしのペースでのそのそ波に揺られるように一日がうごいていった。できるだけ心躍ることのないよう、わたしの範囲内で物事が終着するよう、細心の注意を払って穏やかに過ごした。これはいい調子だ、と思いながらあらゆるところに散らばったひとりの欠片を集めていった。

ひとりでいると何かしら考え事をしてしまうので、極力思考を働かせないように、無を徹底した。ぼうっとするとすきなひとのことを考えてしまうので、好きでも嫌いでもない作家の本を手に取り、たたきこむようにページをめくった。音楽をかけると思い出をむすびつけてしまったあれこれがついつい踊り出すので、できるだけ無音で、あるいはさっき行った店のBGMを延々と口遊んで。

それでも、猫の腹を撫でているとじゃれて遊ぶひとの笑うかわいい顔を思い出し、煙草を吸ってはおなじ銘柄をくわえるひとの横顔を思い出し、夜ご飯の準備をしてはこの間つくってもらったココナッツのカレーが美味しかったことを思い出し、ついには自分の頭の中の回路に呆れ果てた。

きみがいなくても楽しく過ごせるように、って、この前高らかに宣言したはずなのにな。ひとりで過ごすのすきだし、だいすきだし楽しかったよきょう一日。穏やかに過ごすのはとても心地がよかった。

でも、感情が揺れ動くのを待ってるみたいに、ぽかりと時間があくと、あれやこれやととっかかりをみつけてはすきなひとの事を頭がなぞりはじめる。やめたいな、女の子みたいな思考回路、恥ずかしいな、なんて思うけど、無意識を捕まえられてしまったのなら仕方がないと諦めた。


もう一年が経つ。きみと季節を一周したいなんておもったあの頃から、ずっとこのまま。まだ恋人にもなっていないのに。



綺麗になった部屋で、ぴかぴかに磨かれたキッチンで、買ったばかりのティーポットをだし、母から届いたお茶を淹れた。あたたかくて、呼吸は緩やかになって、からだのなかを確かめるようにストレッチをした。足もとには甘えたがりの猫が擦り寄ってきて。

ひとからみると、丁寧な暮らしをなぞっているように思われるだろうけど、わたしはただ精一杯生きようとしているだけだ。色合いの揃えられた食器や寝具、掃除用具も、わたしの思考を整えるためのものに過ぎないし。モーニングルーティンなんて投稿しちゃうような、穏やかな暮らしをファッションの一部として扱っちゃうような、そんな女の子と一緒にされちゃたまらない。生活するうえでたいせつな衣食住が整わないとじぶんのただしさを見失ってしまうような、そんな泥濘のなかにいるから、せめてもの思いで綺麗なものをならべている、のに。澄んだ頭をこしらえるために、日々の隙間で足掻くために、懸命にこころを撫でつけているだけなのに。

結局のところ、誰になんと思われてもいいからどうでもよくなるのだけど。どうせいま、頭のなかまっぴんくだし。でも、丁寧な暮らしだなんて皮肉をこめて揶揄してくるようなひとたちのことは、どうにもすきになれない。不服極まりない。それだけ。



時間は平等ではないし、過ぎようとしているこの一年と迎えられるかわからないつぎの一年もおなじではない。感情だって日に日に変わるし、女心なんて秋の空だし。

怒ってるんだか哀しんでるんだか、はたまた無なのかはわからない。けど、明日また朝がやってくることを願って、眠るしかないことだけはわかってる。

わたしのたいせつなひとがみんな、いい夢をみれますように。いい休日をありがとう。おやすみなさい。