灰色のシミ

すべての仕事を家でするようになって、ほとんど化粧をしなくなった。家ではだいたい部屋着で過ごしているし、仕事中は髪の毛もひっつめてメガネのまま。隣駅に行く時だって、吉祥寺にほんのちょっとだけ用事を足しに行く時だって、すっぴんで出かけたりする。誰にも会わないだろうし、誰にみられているという意識もなくなってきていて、結構ひどい。それでもさすがに恋人の友人に遭遇しそうな時は、ちゃんと化粧もするし、お気に入りの服を着るし、コンタクトだっていれる。そうすると、ちょっとだけ自意識を取り戻せる。

恋人と電車を待っている時に、「ちゃんとしてる時としてない時の落差、結構激しいよね、わたし。」となんとなく聞いたら、「なんだろうね、マスクが似合わないんじゃない?」と言われた。マスクって、似合うとか似合わないとかある?否定も肯定もしない恋人の正直さが好きな反面、すこし落ち込みもしたけど、身なりを整えた時はちゃんと褒めてくれるので、この返答は受け止めなければと思った。

べつに化粧をしたところで派手な顔になるわけでもないし、お風呂上がりには「ちゃんとマスカラ落とした?」と聞かれるほど、感動的なビフォーアフターはないみたい。それでもきっと、自分の地味顔と向き合って、その日のコンディションでできる限りの施しをすると、瞳の奥からぴかぴかしてくる気がする。チープな表現だけれど、やっぱりお洒落は魔法だ。気に入った服や色味であるほど、それは効力を増す。

 

適当な日々が多かったせいか、最近のわたしは自信が底をついていた。元々自信はないほうだけど、ある程度の需要はあるんだ、くらいにうがった見方をしながらもなんとかバランスを保っていた。でも、誰かと比べたって仕方がないとは頭ではわかっているのに、アンインストールされてしまったみたいにブレーキが効かない。恋人が褒める女の子が気になって仕方がなくなったり、昔の恋愛事情を聞いてしまったせいで凡才な自分がまるで無価値なように思えたり。女性にはそもそも周期があるし、苦手な雨と湿気がつづくし、なんていったって寝不足だったし、いろんな条件が相まってなかなか酷かったなと思う。表立ってそういう気持ちを言葉にはしなくても、間合いや表情からは隠しきれず、なんとも居心地が悪かった。

そんな中からある日ぽかんと抜け出せたのは、化粧をしたことが大きかったんだと思う。わたしが好きな自分になれる、それだけなのに効果的面で。それから、本を読んだり短歌を書いたり好きなアイドルの映像をみたり、自分の時間を持てたこともよかった。苦手なのにちゃんとご飯を作って、三食食べたことも。

どれも当たり前のことばかりだけど、そんなことわかっていても、だめな時は一瞬でそれらに手を伸ばせなくなるから。ひとつひとつ、色んなことをポジティブに諦めたりしながらも、積み上げて繋げていった。

 

あと、最近意識を改めるようになった事があって。わたしはよく恋人の周りをうろちょろしているので、恋人の知人に紹介してもらう機会がおおい。でも、あくまでも恋人を介しての知人でしかないと思っていて。そっと線引きをして、深入りせず、されもしないように、曖昧な立ち位置を探していた。元々内気な性格なので、そういうのは得意だし、とさえ思って。

けれど、ある日恋人にその話をしたら、「そんなつもりで紹介した覚えはない。生冬と僕の友人と、そこには僕抜きでの新しい関係性が築かれるはずだ。」と言われた。ずしっと重たい一言だった。でも、わたしとは全く違う考えであること、そのこと自体を素直に受け入れられそうな自分がいたことが、嬉しくもあった。

恋人の友人にはこのアカウントが知られていないと思っていたのに、意外と気付かれていたという事実もあって。その気恥ずかしさを吹き飛ばすみたいに、意を決してある女の子をご飯に誘ってみた。

わたしはそもそも、誰かを誘ったり連絡を取り合うのがとても苦手で。予定を合わせたり、相手のタイミングを考えたり、どうしても色々な深読みをしてしまう悪い癖があって、ほとほと疲れてしまう。

でも、頑張って取り付けた約束は、とても楽しくてあっという間で、もう少し話してみたいと思ってたことを素直に伝えられただけでも、よかったなと思う。そういう、わたしが苦手だと思って閉じ込もってしまう部分の色々に対して、背中を押すのが得意な恋人に感謝した。

 

色々なことを諦めるのを得意だと思い込むのは簡単だけど、やってみれそうなチャンスとタイミングがあるなら逃さずにいたい。怖がって悪いことばかり数えてしまう悪い癖も、すこしずつ直したい。二十数年間こびりついてきたシミはなかなかとれないかもしれないけど、もし薄くなってきたら、そこにはちゃんとわたし色の化粧を施したい。わたしが好きになれそうな自分でいるために。

そんなことを思ってたら6月が終わっちゃいました。はやく冬にならないかな。