ブックエンド

わたしは年末がにがてだ。みんながほのぼのと年越し準備をしている間、ひとり閉塞感と孤独感でいっぱいになっている。理由はよくわからない。比べるほどしあわせに過ごした年末の記憶もないけど、浮かれた街中に対してあまのじゃくでいたいわけでもない。自分でも本当に、よくわからない。


一年を振り返るのもにがてだ。だいたいそんなことをして綺麗に取り繕ったとて、気分の浮き沈みまで明瞭に思い返せる?そんなばかなこと、とまで思いはじめて、いつもつめたい気持ちになる。写真を撮り残したときにそのシーンしか思い返せなくなるように、日々の出来事をとりまとめてしまっては大事なことを見落としてしまう気がして、くるしくなる。それに、そんなに重大な出来事もなければ記憶力もなく、どうせ忘れてしまうような日々なら振り返る必要もないとすら思っていた。


でも今年は、いや去年は、きっとこの先も忘れられない一年になりそうで。意思をもって過ごしたから、覚えていられそうなんだ。



校正の勉強をはじめた。

安定を手放して、やってみたかったことを仕事にしようなんて、これまでのわたしからは到底考えられなかったことだった。

それでも、3年越しの熱量をやっとぶつけられた。勉強自体はおもしろく、掘っても掘っても底には到達しなくて、楽しすぎてつかれた。求めている言葉への直向きさは発揮できないかもしれないにしろ、わたしのコンプレックスにずんずん突き刺さることばかり覚えていった。

スクーリングを卒業して、どれだけ狭い門をくぐろうとしているのかようやく理解したけれど、それでもまだ熱量は保っていて。生活がくるしくなったって全然へいき。言葉だけはいつもひとりぼっちにしないでおいてくれたので、これからもずっと、向き合っていきたいのだ。



すきなひともできた。

一年ぶりに再会して以来、そのひとの一挙手一投足にずっと翻弄されていたし、そんな自分が嫌になったりもした。こんなふたつの目しか持たない人間、遠く広いところをみているそのひとには振り向いてもらえないと思った。

恋心に関してはなおのこと解釈が歪んでいるので、何度も困らせた。でも、すきだと言っても、冬眠をきめこんでも、いなくならないでいてくれた。表情や言葉尻をとっても全然掴みきれないし、そのひとが自称筆まめであることを認めるにはむつかしすぎるくらい連絡がとれなくなり生死の心配を何度もした。凛としていたいのに、そのひとのすこしの態度で平気でくずれてしまうわたしの足元を、情けなく思った。

ひとのことを思って涙したり、浮かれたり、そんな恋心によくある感情の浮き沈みに加えて、こころを落として耐えたり、限界をすこしだけ引き延ばしてみたり、つたえる努力をしたり、待ってみたり、そうして順応しようとするじぶんが面白かった。気持ちわるくならなかった。

いまはほんのすこし、気持ちが報われはじめているみたい。かたちがないのでよくわからないけれど。

すきのスタンプに動揺したり、ウォーアイニーとふざけて驚かれたり、素直な気持ちを伝えると途端にぎこちなくなるような慣れてない関係だけど、一緒にいるだけで緩んだ呼吸でいっぱいになるの。そんなひとと過ごせた日々だから、とても愛しかった。



仲違いしてた親友と、再開した。

それからの毎日はこれまで会ってなかったぶんを埋めるくらい沢山、暇をみつけては遊んで、一緒に珈琲を飲んだ。河川敷で肩を並べて吸った煙草が、泣きそうなくらい美味しかった。いつも幸せな料理で満たしてくれた。

わたしのにがてな四季のあれこれを届けてくれたり、心地よくて見逃してしまいそうな生活の些細なことを掬いとって、しあわせだと声をあげてくれるひとなので、彼女がいるのといないのとでは日々の彩りが全然違うんだ。本当に、また会えてよかった。いつも引っ張ってもらってばかりなので、わたしも彼女にしあわせをお届けしたい。



プリセプターになった。

一年目の気持ちなんてわからない、いまの時代の子がなにを考えてるのかなんて検討もつかなかったりする、けど、最初の一年目が肝心だと思ってるので、潰れないように、わたしなりに、手を差し伸べて支えてきた。言葉の伝え方はいつもわからなくなるけど、教えなくていいことなんてひとつもないから、ちゃんと届け、届け、と思って顔をむけてきた。

いやにならずに、この仕事続けてくれたかな。彼女達にとってすこしでも身になることを与えられていたらいいのだけど。



そんなこんなで、この一年はずっと全力投球だった。疲れちゃったな、って休みたい気もするけど、しいたけさんの占いによると今年頑張るための準備期間だったみたいだから。また一年、気持ちを強くもって駆け抜けようと思います。


関わってくれた皆様、そばにいてくれた人達、本当にありがとうございました。